CHART-DATE : (1999/11)
作品
脅迫家
… 黒い家

(監督:森田芳光)


お話

 症例名サイコパス。


お話

 原作と比べてみると足をすくわれる。だってテイストが全然違うから。
 怖くない。というよりもあえて恐怖感を排除しようとしている節がある。演出意図として“笑い”をとる意識が見え隠れしているのだが、しかしそれもまた意識的にわかりにくくなるよう撮られているので、軽く流してみると中途半端なホラーにしか見えない。

 推測だが、この映画は監督が望んで選んだ素材ではなくオファー優先のお仕事映画なのではないだろうか。その分、制作サイドの制約(例えばストーリーをあまり壊すなとか主題歌にこいつを使えとか)もくっついてきたりして、だからストーリー自体は、上映時間や映像表現の手法上省略した部分はあるにせよ、基本的に原作に忠実なのである。だからその分、映像や演出で裏切ってやろうというような意図があったのではないか。

 演出はとにかくすごい。  斬新というか観客に対して悪意のあるカット割りや、落ち着きのまったくないカメラワーク、画面いっぱいの文字を読ませるショットなどなど、とにかくリアルを排除しようとしている。
 雑に見える思わせる編集も、おそらくわざとそうしているのであって、バジェットはそれなりにかかっているのだが、あえて安っぽくみせるようにしている。そう思わせるようにとっている。
 極端にアンダーに撮影され、影が黒ベタになるように撮影されている。ゆえに画面は黒い闇のような印象となる。そのために逆にくっきりと浮かび上がる原色。夏の暑い日差しがあるにもかかわらずスクリーンに写し出される映像は恐ろしく寒々しい。
 ロケ撮影での空間の切り出し方もうまい。ガスタンクや鉄塔などといった巨大な無機物を巧みに背景に持ってくることで非現実感、情緒的な印象の排除を成立させている。
 下品すれすれのポップ&キッチュな映像演出なのである。音楽も古くさくいかにも狙ってることがみえみえ。下品感覚は話が進むにつれてどんどん増長し、話の都合上全然必然性のないストリップパブのシーンが出てくるわ、しまいには「乳しゃぶれーっ!」。やりすぎである。
 役者の演技も、(よくいえば)リアリティを排除した(悪くいえばどうみても棒読みの)、張り付いたような演技。現実感を潰そうとしている。

 すべては非現実のために。その結果、あたかも舞台劇のような映像が浮かび上がってくる。ロケのシーンもセットのシーンも、まるで舞台を観ているかのような感じなのである。なるほぼ、これが今回の監督森田芳光の“毒素”だったのだな、と思った次第。

 配役については、原作と比べるとすごく違和感がある。特に大竹しのぶは思いきりミスマッチ。しかし、いかにもの役者(例えば渡辺えり子)を使うことで、普通の恐怖映画になってしまうことを嫌ったのだろう。それはとてもわかるし、オレも大竹しのぶの選択はオッケーだとも思う。が、だからといってそれが成功しているとも思ってはいない。

 それにしても原作の持っている怖い犯人像がまったく失せている。
 普段はまったく表情を変えない女が、犯行に及ぶ際には激情する。しかしそれが逆に『普通の人』感を出しちゃって、恐い人間像をスポイルしちゃってるのだ。サイコパス=無感情な人物というのは間違った認識だが、映画としてみた場合、壊れた人形のように全く表情を変えないで襲ってくる人間の方が怖いでしょ。
 もっともそれってまんまジェイソンパターンなわけで、だからそういった常套手段を選択する安易さを避けたのかも知れないが、深読みしすぎかな。

 結論としては、ま、悪い映画ではなかったけれど、やはり原作にはやや力及ばなかったかもといったところですか。しかし、こうやって比較して観ちゃうから先に原作を読むのって嫌なんだよなぁ。


お話
  1.  ちょい役特別出演が、全然気がつかなくて、エンドロールみてびっくら。町田康や山崎まさよし。全然気がつかんかった。原作者貴志祐介はすぐわかったけどね、楽屋落ち台詞つきだったし。
  2.  一番ぐっときたのはクライマックスのボーリングの玉が窓から飛び込んでくるところ。笑った笑った。

お話
★★★ ☆☆

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