CHART-DATE : (2002/02)
作品
Killing Machine Code Number:1
… 殺し屋1

(監督:三池崇史)


お話

 (精神的)ミュータントタートル。


お話

 一応、“売り”は、トコトン突き抜けた殺戮による残虐嗜好主義が醸し出す歪んだユーモアなのだろうが、しかし、こと映画の絵ヅラとしてみた場合、表現方法がVFXであることで損をしているように感じた。
 VFX(CG)がチャチで興ざめとかいう意味ではない。今さら特殊メイクに頼る時代ではないし、VFX使用自体は時代の必然であり、また充分にうまく仕上がっているとは思う。だが、身体が真っ二つになったりしても、削ぎ落とされた顔が壁に張りついても、絵の微妙なCGっぽさが、リアリティをスポイルしてしまっている。(もっとも、これがたとえ特殊メイクで撮影されたとしても、結局同じ印象を持ってしまうのかもしれないけれどね)
 もちろん、“リアリティ”を追求するエフェクトもやろうと思えば、技術的には当然可能ではあろう。が、この映画においての主眼は、リアルな残酷さではなく、カリカチュアナイズされた残酷さなわけで、だから表現としては、これがベストなのかもしれない。しかし、であるが故に、“つくりもの”でしかない絵は、残酷描写を感じさせるためのモティベーションにはなりえないということである。(もっともリアルに“イタイ”映画は苦手なので、オレとしてはこの程度がいい塩梅だったりするのだな)

 で。ビジュアル以外ではどうかというと。『イチ』でやりたかったことは、上述のとおり、暴力・殺戮のドロドロとしたパワーを画面に焼き付けることだろうけれど、それを成立させるための話の整理が今ひとつの感があり、観終わって、若干の消化不良は否めなかった。
 結局、彼らはなにを目的として行動していたのかが曖昧なままだったのがイタイ。話としては、結局「僕ら全員ラディカルなサディスト&マゾヒスト。楽しく痛め愛っ!」って印象しかない。それぞれの抱えるトラウマやその解放をもっと明確にしていただければ、えらい傑作になっただろうに。残念である。

 とはいうものの、観ていて退屈だったわけではなく、熱病にかかったようなジリリとした気怠いハイテンションな感覚は捨てたものではないし、まあ、暴力が突き抜けると笑いに変化する、ということを再認識できた作品ではあった。


お話

 しかし、暴力が主眼に置かれているせいで(?)、エロティックな部分は基本的にシャットアウトされている。ちゅーか、それをやっちゃうとAVになっちゃうから? でもってそういうのが観たい人はAVを観ろってこと?


お話
★★★ ☆☆

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