CHART-DATE : (2002/11)
作品
しるし
… サイン

(監督/脚本/製作:M・ナイト・シャマラン)


お話

 サインは「V(ヴィジター)」


お話

 シャマラン作品は一般的には「謎」であるということらしい。だから、驚愕のドンデン返しという謳い文句も出てくるわけだが、それははまったくの的はずれで、もう思いっきり剛直球。あまりにもひねりのないストレート勝負なため、逆に吃驚仰天した。いや、あまりにも直球過ぎて逆に魔球になってしまった感じ。並の作家じゃ、あんな話は創造しないでしょう。ま、そういうところがシャマランたる所以であって、そこが好きなんだけど、一般的に許容されるとは思えないかな。別にオレが心配する必要もないか。

 結局、彼らを襲ってきたのは誰か。退治する手段はあるのか。などのストーリー上の謎かけ部分に対する回答が、この映画の骨子ではない。むしろそういうものは話を進める上での表層的な仕掛けでしかなく、だから典型的でベタネタであろうとも一向に構わない。というよりもヘタにひねってそちらに視線が行くことを極力避けるために、あえてああいう設定としたのだ。というのはうがちすぎか? いずれにせよ、監督シャマランは、「WHO」の仕掛けには全然こだわっていないことだけは確かなところだろう(それにしてはひっぱりが強すぎるという面はあるかもしれないが)。

 では、なにが云いたかったのかというと、「WHY」。すなわち、彼らは何故に行動したか。ということである。この映画の本当の核は「信仰とは如何なるものか。そして彼は如何にして信仰を取り戻したのか」というところにある。それを、象徴的に具象するためのギミックが異星人襲来であったということだ。
 その基本的構造については、映画の中盤であらかた予想がついたが、まさかそのための仕掛けとなる異星人襲来が、まさか本当に異星人が来ていたというのには、さすがにあまりの直球勝負すぎで、参りました。である。だから異星人が出たということではなく、異星人を出すという選択をしたという事実について、驚愕のドンデン返しと云えば云えるかもしれない。

 この映画に対する一般的な期待としては(実際、オレも前評判だけからはそういう映画になるものだろうと思っていた)、ミステリーサークルの謎に対する新しい解釈と、それから生まれるSFスペクタクル(あるいはサスペンス)的展開を期待していたんだと思うのだが、それはまんまと肩すかしを食らった感じ。それを許せるかどうかが、この映画に対する感想の分かれ目である。


お話
  1.  神父がメル・ギブソン? なんとなくイメージが違うなぁ。
  2.  どうせ出すならもう少し異星人の姿かたちを観たかった。

お話
★★★ ☆☆

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