CHART-DATE : (2003/10)
作品
陰陽師でおじゃるマル?
… 陰陽師ll

(監督:滝田洋二郎)


お話

 ノムラ満載。


お話
 悪くも悪くも(!)野村萬斎のための映画。安倍清明譚ではなく、ね。

 この映画において表現されているのは、つまり、野村萬斎の所作であって、安倍清明の陰陽師としての所作ではない。例えば、式打ちであったり、呪であったりといった、つまりはマジカルな意味あいの表現が、ほとんどなくなっている。(まあ正しくは、ないのではなく、それらしい描き方をしていないという話なのだが、オレが欲しい絵づらでは、ない、ということである)
 それはそれでありなのかもしれないが、(オレの中での)映画としての陰陽師の位置付けは『異色の時代劇』ではなく、日本を舞台とする『ヒロイックファンタジー』だと思うのだ。云い換えれば、つまり『剣と魔法の物語』である。それを和風で、かつ耽美に、描ききること。これこそがこの物語のキモであるわけで、だから、それを表現することをやめてしまっては、台無しであるなぁ、と思わざるを得ないということである。

 と、基本的な部分で違和感があって、今ひとつ話に入りきれなかったせいで、普通なら気にならない処も目に付いてしまうという悪循環(?)。
 いかにもお話がおかしい。これは「想像、創作」であって、その作品世界観の中では、そこに描かれてることが真実である。というのは、まあいいのだが、“出雲”という国は、創作架空の存在として引用するにはあまりにも認知度が大きすぎるのではないか。で、あるが故に、あまりにも『出雲(=邪馬台)』×『大和朝』という図式を構築するには無理が出ていると思うのだ。「これは仕様です」と云われても、やはり実際の国を思い浮かばさずにはいられないわけで、そうなると空間的、時間的に明らかにおかしいその存在は、イコール嘘くささである。で、設定のズレは作品総体のズレとなってしまう。と、そういうことである。これがまったく架空の王朝であったなら、むしろすんなりと話が通ったのではないかとも思う。

 話の展開もどことなくもたついた感じがあって、その画面上でなにを描きたかったのかを、明確に描ききれなかった、あるいは逆に明確にしてしまった故の問題点であったのかも知れない。鬼となるってのも、なんかとってつけたような具体な表現(特殊メイク)で、もっと鬼、という存在をどうとらえるかということを見つめてほしかったような気もする。(もっとも鬼という存在は、この時代ではこうとらえていたんだからといわれればそれもありかな、とチラと思ってしまうのだから、これについてはあまり強くいうつもりはないけれど)

 なんか、よくできているのだけれど勿体ない感が漂う映画であった。


お話
  1.  そんなわけで、萬斎映画としては、一級なのであった。やはり野村萬斎はすごい。その存在自体で映画一本成立しちゃう。でもだったら舞台を観に行けば、ってことでもある。
  2.  深田恭子はどうでもいいのだが、後ろ姿で吹き替えということが一発で判ってしまう自分もあんまりだと思った。

お話
★★★ ☆☆

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