CHART-DATE : (2003/12)

題名

装置を設置して使える状態にすること。
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(監督:片岡K)

お話

 挿入@女子校生(みたいな?)

感想

 監督はコメディにするというようなコメントが出ていたが、オレ的には、これはコメディではないな。と思った。
でもシリアスドラマでもないんだよね。なんか不思議な感覚の映画であった。
 自己分析するに、コメディと認識するには“エンタテイメントとしてのケレンやサービス精神”が弱い。いや、確信犯的に自分勝手な部分、自己完結的な部分がある。無論、悪口でもなんでもなく、観る側にべったりおもねらず、観客の事をある程度意識しながらも、「でも自分の描きたいことははこうだから」という強情を張っている。そういう変に角の取れない、あるいは取らないところが、観ていて「純文学だなぁ」と思う。基より原作は、(読んでないので予断だけど)バリバリの純文学なわけで、だからこの映画での演出表現方法は正しいな、と思う。

 純文学的と思ったのは、エピソードの切り出しかただった。より“面白さ/エンタテインメント”を重要視するならば、もっとスラップスティック的な脚本や演出に振ることも十分可能だったろうと思う。その場合は、各エピソード自体のおかしさを素直に表現することになるのだろうが、本作品においては、「ふたりの行動がどうなったのか」ではなく、「ふたりの感情がどうなったのか」ということに主眼をおいている。すなわち内省の表現であり、よって「純文学だなぁ」と。

 特にそれが顕著に感じられたのは、本来クライマックスで描くべきであろう、ふたりの行動が見つかって云々という社会的/状況的決着はなく、あくまでも、ふたりが
「エロスという感情に対して、それはバーチャルなものではなく肉体を伴ったものであること。そのことから、すなわち『人間とは実体である』ということを認識し、肥大した自意識が身の丈のものとして修練していった(再インストールされた)ということ」
が、クライマックスとされたのである。
 より深く掘り下げると、映像表現としておっぱいを触るときに、ただ上から手をあてるところから90度回して、つかむという行為に移ったときに、リインストールされたわけだ。ただ触るのでは、(一般的に)エロス的行為と思しき動作であることは実はすごく重要で、観念としての行為ではなく自意識の発動された行為であるってことが、実存なのである。作中において、ふたりはけして男と女の関係性としてあったわけではないし、それを意識しているわけでもないけれど、お互いが身体/実体を実感するための通過儀礼としては、それが必要であったわけだ。うーん、純文学だなぁ(純文学に誤解がある?)。

 ともあれ、このような観客サービスが少ないことで、人によっては、「笑えないなぁ、中途半端で不満だなぁ」と思う人もいるかもしれない。オレ自身、これはそういう映画と判った上でなお、もう少し振幅を広くとってもいいんじゃぁないのとは、思ったくらいだからね。

 てなわけで、例えば、主人公のモノローグがあまりにもアンニュイであるというところとか、性格がネガティブなのかノーテンキなのかよくわからない不安定性とか、親子の希薄な関係性を描ききれていないとか、幾多のアラと不満はあれども、今の時代性をそのまま映像に展開したというところで、いろいろと楽しむことができた。

補足

  1.  あんな狭い密室の中でエロティックな疑似行為にふけってると、どうしても実体行為に移るという、実に安っぽいロリエロ漫画的展開に陥りそうなところを踏みとどまっているのが、なるほどで、それは青木君が本当に少年であるという設定の妙だ。
  2.  「濡れた・・・」っていう科白に実に納得させられた。やっぱ望むと望まぬとに関わらず自然に反応する身体というのは存在するわけで、そういう実体もまたテーマのひとつだと思うわけですよ。けして表層的扇情的な表現に萌えってことではなくてね。
  3.  それにしても、上戸の水色のパンティってばそういうことなんですかね。どういうことなんですかね?
  4.  菊川玲をチェックする。不必要に丈の短いスカートをはく女教師。それはそれでまたひとつの物語がありそうではあるが、それってこの話以上に、エロ漫画的な気がするな。Mキャラだし。

星取

★★★ ☆☆

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