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ソウルぶらり旅  …4

 ミュージアム! お調子者   

 今日も曇天。8時に起床。目が覚めてもまだ暗いと思ったらカーテンと曇天のせいだった。朝食は昨晩買っておいたパンとバナナミルク。質素である。
 今日は観光をメインに組み立てで行動の予定だ。
 昨日の轍を踏まないよう、いのいちに地下鉄で一万ウォンの定額券を購入する。これで今回の旅分は多分持つはずだ。買ってしまえば逆に短い距離でもケチらず地下鉄を乗るだろうし、行動はスムーズになるはずだ。なんか本末転倒のような気がしないでもないが。
 さて、今日一発目の目的地は西大門の『監獄博物館』である。着いてみればさすがに普通の観光客は行かない場所、ひとっこ一人もいない中、館内を巡る羽目になる。刑務所といっても、犯罪者の話だけではなく、かつての日帝時代からの諸々が刑務所内に、蝋人形で生々しく展示されている。まったくなにやってんだよニホンジン。
 ところで、内容は真面目なのだが、その見せ物小屋的造形や舞台装置がなんともいえず露悪的な雰囲気を漂わせており、教育的にはむしろ逆効果のような気もするが、それはお国柄なのだろうか。
 なんにせよ、正義とか権力とか全体主義とか、そういうバカバカしいものに取り憑かれるとろくな事がないということはひしひしと感じた。オレは、基本的に個人の幸せがあってはじめてまわりの幸せがあるという考えのエピキュリアンなので、こういう思想の押しつけをする光景は本当にダメなのだ。もっとラブアンドハッピーでいきたいものよ。と、気分的にかなりへこんでしまった。まあ、雨の中、ひとりで観るようなもんじゃないことだけは確かだった。

 なんかそうとうにエネルギーを消耗してしまった。気分転換というわけではないが『国立中央博物館』に行く。ここは磁器のコレクションが膨大なのだが、あまり興味がないので、さらっと流し観する。時折、カエル磁器やブタ陶器には心惹かれるものがあったが、まあそんな程度である。あとは、5センチにも満たない小さな土偶がとてもよかった。土をクリュッとひねって尖らせて手足を表現しただけのプリミティブなものだが、男性も女性も陰部がしっかりと表現しており、迎え入れようとするポーズ、己のモノを弄んでいる姿、もちろん和合しているシーンなど、あっけらかんとした明るさ可愛らしさが感じられた。そういうのに可愛らしさを感じるオレもなんなんだけど、思ったんだからしかたがない。

 さて、何故この博物館に来たか。もちろん、半島仏教の仏像を観るためである。仏教彫刻室に入ると、金銅弥勒菩薩半跏像がお出迎えしてくれた。スレンダーな艶めかしさと理知的な知性をないまぜした、実に美しくも魅惑的な姿。全面ガラス張のケースで、しかも360度ぐるりとまわって観ることができるので、横なめ後ろなめで観まくりまくりの堪能しまくり。背中に光背用の突起がでているのがわかって面白かった。
 水鐘寺八角層面塔内発見金銅仏像群といういささか長いタイトルの付いた仏像14体はサイズ6センチ程。ひとりひとりが違った愛嬌のある表情で、いかにもガチャポニック。なんたってコンプリートしてるのが実によろしい(14体でコンプなのかどうかは知らないのだけれど)。なんか実物大レプリカがあったら絶対買ってしまいそうだ。いや、買う、絶対。
 第2室に入る。こちらも仏像満載である。中でも圧倒されるのは如来座像。数メートルの巨大なサイズ。ツヤ消しブラックの重厚なボディ。百ごうは水晶球。これが仄暗い照明を拾い、白く光り輝いている。いや、ビームを放っている! 素晴らしい、すごく霊験あらたかっぽいぞ。観ていて引き込まれるようであった。
 仏像効果(?)で、かなり凹んだ気分が復活してきた。別に信心があって観ているわけじゃないのでちょっと悪いかなと思わないでもないが。

 さて、そんな中央博物館だが、正規の展示物以外でも面白いなぁと思えるものがいくつかあった。ひとつは館内スピーカー。よくある黒い箱形とは真逆の構造で、透明な半球状のボール(食器のボールをイメージしてほしい)が天井からぶら下がっていて、半球の中心位置に小さいスピーカーが反対むきに取りつけられている。ようするにボールが拡声の効果をはたしているというわけ。ナイスなアイディアだ。もうひとつは館内に設置されているベンチで、なんとこれが総革張。いかにも革製品の国ならではだなぁと思った。

 ひととおり見終わると、公衆電話から電話をかける。料金が判らなかった百ウォン硬貨を入れたが、実際には70ウォンですんでしまった。こっちは電話料金安いなぁ。でもおつりが戻ってこないなんてちょっとあこぎだよな。と思ったが、よく考えればたかが3円についてケチくさいのは自分のほうである。


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